ハンドルネームの決め方のある特徴でアスペルガー度が分かる説

どうもNEIです。

 

今日は発達障害の大手サイトなんかでは絶対に触れられることがないであろう「ハンドルネームの決め方」というものすごいどうでもいい話をしようと思います。ちなみに私のNEIというハンドルネームにも当てはまるので、この説からいけば私は発達障害となります。ハンドルネーム診断ですね。

 

「キラキラネーム」はなぜ存在するのか?

ハンドルネームってどうやって決めますか?よくあるのはあだ名なんかをそのままハンドルネームにするヤツですよね。私なら、脇田であだ名ワッキーになりがちなんで、そのままWackyとかにしがちな感じです。

健常者はそういう感じにしがちやと思うんですが、発達障害の人はそういうの嫌いがちです。がちがちうっさいって感じがちだと思いますけど、たぶん気のせいです。

世間ではキラキラネームとかいうのがありますよね。光宙で「ぴかちゅう」とか、小宇宙で「こすも」とか。学校の先生が間違いなく読めないヤツですね。こういうキラキラネーミングっていうのは、

名前に過度に意味付けをしている

といえます。なんで、そんな実生活において支障が出そうな名前つけるん!ってもれなく突っ込みたくなると思うんですけど、こういう名前をつけたくなる気持ちが私は結構分かるんですよね。アスペルガーの人もなんとなく分かるんじゃないかと思うんですけど、いかがでしょうか。

今回は、そのメカニズムに突っ込んでいこうかなっていう回です。もうエレベーター着いたかもしれないんですが、目的の階に着いたらもうこの先は読まなくていいです。

連想ゲーム&組み合わせ網羅特性

まず、なんか犬、ポメラニアンでもGレトリーバーでもチワワでもブルドックでも、なんでもいいんですけど、買ってきたとします。

「さあコイツの名前をつけよう!」

ってなりますよね。この瞬間、どういう風に考えだすのか。ココが今回の一番のポイントです。このとき、

「犬やしポチとかクロとかよく聞くし、そういうんでいいんじゃない?」

っていう感じの人は私の中ではアスペルガー度が低いです。では逆に、アスペルガー度が高い人はどう考えるのかというと、

「犬・・犬・・イとヌ、うーん、見た目がゴツいからゴツ・・ゴツイヌ・・・イヌゴツ・・・ゴイツヌ・・なんかちがうなー。

スキな電車の名前からラピートと合わせてゴツート・・ちがうなラピイヌ・・あ、ラピーヌってフランスっぽくていいな!ラヌーピーやったらスヌーピーっぽいかな?」

みたいに、一種の連想ゲーム、組み合わせ網羅みたいなことを始めます。で、その連想は大分長いし、組み合わせの網羅っぷりも、まるでパスワードをクラッキングするAIみたいに組み合わせまくります。どこまでも続いていきます。最終的に「なんでそれ出てきたん?!」っていうくらい、間の連想チェーンや組み合わせのやり方を知らないとまったくもって意味不明な名前の犬が誕生します。

突発的に思いついた名前のように見えて、実はその名前になった理由を、名付け親は説明ができます。でも、その説明クソ長くて聞いても他の人はめっちゃどうでもいい。でも語りたい、みたいな感じです。

で、この連想ゲーム&組み合わせの網羅的名前のつけ方を、私たち(っていうか私だけかもしれませんけど)がなぜしてしまうのかというと、

何の理由もない名前をつけるのがめっちゃ不安かつ面白くないと思ってしまう

からです。これは恐らくアスペルガーの人の脳の構造上そういう思考をしてしまうんだと私は思っています。

 

ハンドルネームは特に何の責任もないから素の名付け癖がでやすい

ただ、アスペルガーの人がキラキラネームをつけるというわけではありません。ある程度社会性が発達していれば、人間の名前に読みづらかったり過度な意味づけをすることが、その子の人生に悪影響を与える可能性があることがわかるからです。いじめられるかもしれないとか、出席のときにいちいち説明しなければならないとか、ある程度想像がつくので、そういう名前は避けるべきだということを学習していればキラキラネームにはしないと思います。

ただ、ペットの名前とか、ハンドルネームとか、ペンネームとか。別に何の責任もリスクもないであろう場合には、上で言ったみたいな思考回路をふんだんに盛り込んで、名前をつけることに躊躇することはありません。

ちなみに

NEIっていうハンドルネームの由来なんですが、普通の人は興味ないと思うんで、敢えて別ページに書きます。⇒モノ好きの人はコチラからご覧ください。

 

まとめ

今回は、【ハンドルネームの決め方のある特徴でアスペルガー度が分かる説】ということで、

アスペルガー度が高い人はハンドルネームのつけ方にクセがあり、連想ゲーム&組み合わせ網羅的な思考回路で名付けることがあるよ

というお話しでした。

あくまでも星占いとかレベルの信用度の低い判別方法なので、くれぐれも参考にしないでください

今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

P.S.「診断」について思うこと

ここからは、私の思想を述べているのでそういうのがニガテな人は読まないことをオススメします。今回どんだけ読まれたくない記事やねんwwて感じですけども。

 

 

 

よく私は発達障害の人の現状を伺い知るために、Yahoo知恵袋やら教えてgooなんかを覗いているんですが、こんなやり取りをちょいちょい見かけます。

質問者「こういう傾向があるんですけど、私は発達障害なんでしょうか?」

回答者「お医者さんで診断してもらいましょう。」

思うんですけど、「発達障害かどうか」っていうのは些細な問題ではないですか?だって、発達障害じゃなかったとしても、恐らくこの質問者さんは「生きづらい」んでしょう。生きづらいからこそこういう質問をしているんでしょう。もし、「発達障害です」というハッキリとした診断を受けたときにもしかしたら「ホッ」とするのかもしれません。でもまぁ、その後も間違いなく生きづらいですよ。自分が発達障害かどうかを知ることが、根本的な解決とはならないからです。

たしかに診断を受ければ、「自分と同じような仲間がいるんだ」、という安堵感に一時は包まれるでしょう。

しかし、結局のところ「自分は自分以外の何者でもありません」

どれだけ仲間がいようと、その仲間たちも、一部は似てたとしても全然ちがう人間です。私は金銭管理事務手続きのニガテさでゲロ吐くほど悩み、なじられてきましたが、同じ仲間だと思ってADHDの人に聞いたら「別に金銭管理とか事務はイケる」って言われましたからね。「アレ、、俺やっぱただの甘えなんかな・・?」ってすかさずなりました。

別に「障害は個性だよ」とか無責任に言うつもりはありません。「障害は個性」って意味わからないんですよね。障害ない人は個性ないのか?って話です。やから、私が言いたいのはそういうことではなくて「自分は自分だよ」っていうめっちゃシンプルなことです。

そのめっちゃシンプルなことを絶対に忘れたらアカンと思うんですよ。なぜなら、発達障害の診断を受けたあと、

・「自分は発達障害」というカテゴライズが再びあなたを縛りつけてくるからです。

発達障害は発達障害同士で固まって、その中でも一番空気読めない人を排除する・・・・どこがどう、誰がどうとかは言いませんが、そういうことが今起こりつつあります。「自分と似たもの同士で固まって、そうではない人をはじきだす・・・」

それって自分たちがやられたことと同じことですよ??

 

発達障害界隈とか言って、変な塊が出来上がって、また、こうやって差別やいじめは連鎖していくんだとしたら、それって悲しくないですか。発達障害の人はピュアやと思って発信している私もさすがにそんなことになったら店じまいせざるを得ないです。

そのすべての元凶は「線引き」です。健常者と発達障害者の間に線を引くから、また次の線引きをし続けなければならない。

発達障害⇒学習障害、自閉症、アスペルガー症候群、ADHD⇒ADD、受動型、積極奇異型、孤立型、識字障害、運動協調性障害・・・⇒・・・⇒・・・

この線引きがいつまで続くんでしょうか。私は線を引き続けるかぎり無限に続くと思います。カテゴライズされるのは安心です。より自分に近い仲間を探し続けてしまうのは「安心」を求めるがゆえでしょう。しかし、その中でまたお互いのちがいに気づき距離を取り、さらに線を引き続けていく。

「ちがい」はあって当たり前です。それは自分は自分でしかないからです。当たり前のことで耳タコかもしれませんが『あなたという人間はこの世に一人しかいない』からです。

私は敢えて、診断を受けていません。それは「発達障害のある自分」として発信するのではなく、他の何者でもない「ただの自分」として発信したかったからです。アイツは発達障害ぶって発信している健常者だ、という批判も覚悟の上です。

だから、このブログで言うような特性や感じ方が他に誰一人いなかったとしても、面白いと思えるわけです。「俺だけかーい!w」と秒速でツッコむ準備ができているわけです。

とはいえ、そんな私でも同類に出会うことができて安心し、その安心を土台にして自分を自分として受け止め始めました。なので、診断を受け、当事者会に行ったり、仲間と話し合うことを否定しないどころか、それは推奨したいと思っています。ただ、その先のことを考えて欲しいんです。ある集団の一員ではなく、自分が自分として生きていくことを。そしてこの社会で、自分が自分であることで貢献できる何かを見つけることを。

 

最初の質問に戻りますが、

質問者「こういう傾向があるんですけど、私は発達障害なんでしょうか?」

に対するこのブログの答えはこうです。

 

 

「色んな発達障害の人を見て、あなた自身で決めてください。」

 

 

 

 

 




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2 件のコメント

  • 昨日は長々とお話しいただきありがとうございました。
    私のハンドルネームは普通なほうですね。ちょっと残念。

    この記事でNEIさんの言いたい事、わかる気がします。
    私の60年とNEIさんの30年は、発達障害に関しては、かなり近いものだったのかもしれませんね。

    どこの国の人でも、どんな個性でも、人間としては同じ部分が大きいこと、反対に似た者同士に見えても、一人ひとり違うこと。一生かかっても証明したい、私の仮説です。

    • くーさん、
      『一人ひとりの同じ部分があり、一人ひとりにちがう部分がある』
      これはなかなか塩梅が難しいなって思いますが、でもその通りだと思うんですよね。
      苦しんだことや悩んだことがあったからこそこの言葉のニュアンスが
      なんとなく肌で分かるんだと思います。