【1位以外意味がない】と「ヤケになる」と認識力が低下していく?

どうもNEIです。

久々に、普通の記事です。

 

よく発達障害関係の知恵袋とか見るんですけど、先日こんな人がいました。

 

「最近、自分の考えていることが相手に全て丸見えになってるんじゃないかと

思えて仕方ありません。科学者が私の脳を、実験のためにある仮想世界、それがこの世界なんですが、

に投げ込んで観察しているんだと思います。

私以外の人間は全てNPC(ノンプレーヤーキャラクター)であり、

思考を持っていない、クオリアが存在しない人たちなんです。

統合失調症なのかもしれないと思い受診を考えていますが、

医師たちもNPCなので、あまり意味がないのかもしれません。

思考が筒抜けになっているという考えについて、どう思われるでしょうか?

とはいっても、ここを見ている人もNPCだから訊いても意味ないのかもしれませんが。」

 

いや普通に最後の一文で笑いましたよねw

じゃあなんで訊いたん?!って思いましたよねw

 

NPC(ノンプレーヤーキャラクター)

 

その回答の一つが、

「統合失調症というのは、認識力が低下して現実を正しく把握できなくなる病気です。

そのような妄想を信じてしまうのは、統合失調症の可能性があります。」

 

はっきりと覚えてはいませんが、こんな感じでした。

 

この回答を見たとき私は「はっ」としたんですよね。

何かを盲信してしまう、というのは「認識力」が低下しているのかと。

 

そのとき、私はこんなことを思い出しました。

 

モノポリーっていうゲームがあるんですが、ご存じですか。

 

 

スゴロクみたいなゲームなんですけどそれぞれのマスに物件があって、

それを各プレーヤーたちが買い取って、そこに止まった他のプレーヤーから

買い物料を頂いてお金持ちを目指す、というゲームです。ざっくり言うと。

 

このゲームって、終盤に入ると誰が勝つのか、大体分かるんですよねw

「ああ、もう挽回できないわ・・・」

というのが割とクッキリ見えてしまうわけです。

明らかな金額の差が出てくるので、どう頑張っても勝てない状況が発生しがちなんですよね。

 

で、2位以下の人たちがどういう行動に出るか、というのが分かれてくるんです。

 

一つは、「2位を目指す」。

非常にシンプルです。

3位や4位になるよりは2位になった方が、気分が良い、という考え方ですね。

 

もう一つが「めちゃくちゃやる」。

もう買いたい物件全部買いまくったり、人の邪魔しまくったりして、

半分ヤケクソでプレイするわけですね。

「1位以外は意味がない!!」

という考えに基づいています。

 

別にどちらが正解というわけではないんですが、

「認識力」が低下するってのを見て、なぜかこの「めちゃくちゃやる」方のプレイヤーを

想い浮かべてしまったんですよね。

 

人って、負けがこんできたり、思い通りにいかないことが続いてくると、

「ヤケになる」傾向が少なからずあると思います。

 

私個人としては「1位以外やったらもうどうでもいい」

という気持ち死ぬほど分かるので、どちらが良いとか悪いとかの話はするつもりないんですけど、

少しこの「ヤケになる」ことがもたらすデメリットというのを考えてみたいんですね。

それぞれの態度について掘り下げていきたいんですけど、

 

しっかり2位を取りに行く前者の人は、

「1位があって、2位、3位、4位というそれぞれの順位がある」

と認識していると思われます。

一方、めちゃくちゃやる後者の人は、

「1位があって、2位、3位、4位は全部一緒」

という捉え方をしていると考えられます。

 

現実をしっかり認識しているのは、どう見ても前者です。

2位と3位と4位はそれぞれ別ということは現実ですからね。

 

これ、逆に言えば2位、3位、4位が別物やということをしっかり認識している人というのは

2位、3位、4位の立ち回りというのを分かってくると思うんですよね。

そうすると、次回以降2位、3位、4位の立場をしっかり考慮してゲームを進めていけるわけです。

これは、2位でも3位でも4位でも一緒やんけ!!と思ってる人と比べて、

よりモノポリーというゲームをしっかり認識出来ている、ひいてはモノポリーをより多角的に捉えられている、

と言えるのではないでしょうか。

 

つまり、「ヤケになる」という態度によって本来別である2位、3位、4位というのを一緒くたにしてしまう、

というのはモノポリーというゲームを正確に認識できていないと言えます。

これはモノポリーというゲームに対する「認識力」を低下させていると言い換えられるのではないでしょうか。

 

今回モノポリーというゲームを例に出して考えましたけど、

これは色んな場面で起こり得ます。

 

例えば、

宝くじを買って「300円」が当たったけど、「300円とか当たってないのと一緒やん・・・」と捉えてしまったり、

オシャレな友達を前にして、「服なんか着れたら一緒やん・・・」と言ってしまったり、

食べたいメニューが品切れで、「アレないんやったらもうなんでも一緒やん・・・」となってしまったり。

 

 

「一緒やん・・・」と言い放つのは気持ちの上ではとても楽なんですけど、

それが良いとか悪いかは置いといて、

「認識力」が下がってしまう危険性があるのではないか

という問題提起をしたかったんですよね。

 

この「認識力」が下がり続けていくと、

 

・存在しないモノが存在しているだとか、

・何者かが全てを思い通りに支配しているんじゃないかとか、

・私のお金が誰かに狙われているんじゃないかとか、

・私の悪口を言ってるんじゃないかとか、

 

そんな風に妄想が膨らんでしまい、「現実」と「想像」の区別すらできなくなってしまうのではないか。

 

まとめ

今回は「ヤケになる」ことによって「認識力」が低下していくのではなかろうか、

という問題提起を、モノポリーの例を挙げながらさせて頂きました。

 

今回こんな記事を書いたのは、

社会から不遇に扱われていくことによって、徐々に「どうでもいい」と思わざるを得なくなっていき、

もう戻ることができなくなってしまうほど「認識力」を低下させられてしまうのではないだろうか、という

危惧を抱いてしまったからなんですね。

自分への警告でもあります。

 

私は現実というものを、ありのまま「認識」したいと思うんですよね。

「自分がひん曲げた世界」なんぞを見るために生まれてきたんじゃない、と。

そんなもん見るために、死ぬ気でお母さんのお腹から出てきたわけじゃないだろう、と。

 

同じ空を見て、「はぁー」とため息が出る人もいれば「キレイだなぁ」と感じる人もいる。

私としては、別に「キレイだなぁ」とも思いたくないんです。

空を見て、「空だなぁ」と捉えたい。

それでこそ私は生まれてきた意味があるんじゃないだろうか、そんな風に思うんです。

 

別に冒頭で挙げた方がなりたくてそう捉えるようになったのではないと思います。

この人の置かれた環境があまりにも酷だったことは容易に想像できます。

それほど「認識力」を保って生きていくということは貴重だともいえます。

 

『世界をありのままに捉えたい。』

 

そのために私はまず自分をありのままに捉える必要があると思っています。

自分は「劣っている」とか「優れている」とかはただの比較でしかありません。

自分は「こういう特徴がある」ということを「そのまんま」捉える。

簡単なようでとても難しい、ようで実は簡単なことです。

 

そのためにはたくさんの「現実」を見ることです。

「現実」を、高い認識力で持って”正確に”見まくること、それだけです。

 

とくに、「コミュニケーション」というものをあまりにも「曲解」させられているのが

現在の発達障害を持つ人たちだと私は捉えています。

コミュニケーション能力が低いがために自分たちは「劣っている」と思わされてしまっている。

なぜなら「コミュ力絶対主義」という、いわばコミュ力による絶対王政のような社会に住まわされてきたからです。

なので私はコミュニケーションを再定義する、というアプローチによって

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