夢を実現していくために、多くの時間を捻出していく上で不信感に苛まれることがある。

最近でも3日前くらいに、「身近な家族の望み(一緒に時間を過ごせたらいいな)を無視してまで、こんなことやってていいんだろうか?」っていう不信に苛まれた。一緒にやってる友人に相談して、なんとか立て直したけどこの先何回そういうことがあるかもわからない。というかまず間違いなく何回も起こると思うのでその時のために記事としてやったことを残しておこうと思う。

不信感

『発達障害の人たちが自分たちの感性を心から信じ、その感性からしか生まれ得ない問題提起を行い、それに多くの人たちを巻き込んでいけるようになり、その先で、これまで焦点が当てられなかった多くの人たちが救われる』

というビジョンを実現するために、毎日10〜12時間、進捗をやることにした。

時間をかければかけるほど、「こんなことやってて意味あるのか?」という疑問というか不信に襲われることになる。今回は「家族との時間を大切にしなくていいのか?」という疑問。発達障害の人たちはあくまでも他人であり、それよりも大切にすべきはずの身内(妻のこと)との時間をないがしろにしててもいいのか?という迷いが起こった。

そもそも、自分がなんかやらずとも当事者の人たちや支援者たちがそれぞれ頑張って、ええ感じになっていくんじゃないか?そうやとしたら俺が今頑張ってることになんの意味があるの?大切な人との時間を犠牲にしてまで?

という感じ。

考え方による処方

  1. 自分がやらなくても勝手に良くなるんじゃない?

発達障害の人たちが置かれてる状況に問題意識を持っている人の数>発達障害の人たちに働きかけるための具体的なアイディアを持っている人の数>実際に行動に移せる人の数>その行動を実践し続けることができる人の数

という具合に、その数は自分が思っているほど多くはない。だからお前がやる意義はある。

2. 家族の方を大切にすべきなんじゃないか?

大切にするかしないかの2元論では語れない自分が生きてないとそもそも家族とは過ごせない。なので生きるための活動は家族との時間をとる以前に必要になるもの。自分が活き活き生活できるための夢でもあるから、その夢をないがしろにした状態でご機嫌に家族と接することができるんだろうか?無理だよね。

お金が稼げる仕事なら、一緒にいられないことへの罪悪感は少ない。→自分の活動がお金にならないことへの不信感かもしれない。お金を得ることは生活に欠かせないが、夢を持つことも生きていく上で欠かせないことであり必要なこと。その上で最大限家族との時間も確保すれば良い話。

進み方に対する処方

・時間をとにかくがんばってがむしゃらに増やすのが良くない

時間を区切り、どれくらいやったかを毎日記録すること。それによって進み方を客観視する。精神論でやると意志力がすり減る。

・朝の時間は心が乱れている

朝イチで、心を整えるために動画を見る。ただ何と無く元気になる動画→大胃王miniの大食い動画、広い世界や歴史に意識を拡げられる気がする動画→李香蘭の動画、30分くらいで整う。

相談できる(一回身体の外に吐き出せる)のはとても大きい。恥ずかしがらずに言ってみる。それを誰かが見て勇気付けられるかもしれない。