説明が面倒なので、

バンクシー やホリエモン新党の動きについてはもう知ってるという前提で話そうと思う。

過剰なる演出と

議論を巻き起こすという形で行われるPRについて。

(以下『コントラバーシャルなPR』と統一表記します)

発達障害を広めるために、やった方がいい発信の方法も僕はわかっている。

もう3年もこの活動をやっていれば何が反応取れて、取れないのか

ということもだいたい分かってくる。

わかっていながら、敢えてそういう手法を取らない。

でも、もしかしたらそのうちそっちに路線変更するかもしんない。

まぁ・・・

それくらいには、

じぶんの中で

『いつも揺れている』ジレンマ

だということです。

明確に、議論を巻き起こすような、

つまり

『コントラバーシャルなPR』を

打ち出していけば、、、

例えば、レタス?キャベツ?をブラにして肉食反対をPRするとか。

そんなふうにやれば、当然ながらみんなの目にはつくよね。

目につきさえすれば、問題をみんなに知ってもらえる。

でも、知ってもらうためには驚かさないといけないんだろうか?

そこに大いに疑問を感じる。

友達を呼び止める時に、

いつも後ろからこっそり近づいて

「わっ!!」

とやる奴がいたとしたら、僕としてはやっぱり純粋に嫌だなと思う。

何か、その後に彼がやっている偉大な事業に、その「ワッ!!!」が

あったからこそ気づくことができて、応援することになったとしても

「いやーあの時「わっ!!!」と驚かせてもらって本当によかったよ」

なんてことを僕は多分言う気にならない。

「やり方は考えて欲しかったし、今でも君のそう言うところは嫌いだよ」

と言うに違いない。

ニーチェはツァラトゥストラにこう言わせている。

『本当の変化は騒々しく訪れたりはしない。

 静かに誰にも気づかれずにやってくるものだ。』

と。

・・まぁ彼は詩人みたいなところがあって

比喩っぽいのばっか使うもんだから、

この文言が、今回扱ってる『コントラバーシャルなPR』

について話しているのか?

っていうのは、よくわかんないんだけども。。

でもじぶんの実感・・・(じぶんの願望?)としても、

『静かにやってくる革命』

という方がしっくりくる。

中世〜近世〜近代あたりで言えば

人の変革を大きく促したのは

産業革命だとか、活版印刷であり

それらが騒がしくコントラバーシャルにPRしたと言うことはない。

フランス革命は、騒々しく「自由」を人間にもたらした

・・・かのように見えるけど、

現実には革命というのはただ権力の所在地が変わるだけ。

議会制があまりにも機能していない現在の状況を見れば、

フランスが誇りにしているあの憲章は無意味なものではなかったのか?

と個人的には思わざるを得ない。

宗教革命というのも、革命を唱えたルターやカルビンが

すごかったのか?というのはまぁもちろんすごかったし色々苦労もしたんだろう

とは思うけども

その思想が根付くだけの文化がすでにその土地に広く遍く、存在したからこそ

だと思う。

活版印刷がなければ、多くの人に考えが知られることもなかったわけだから。

そう考えたら、『コントラバーシャルなPR』っていうのは

やっぱり無意味で迷惑なものなんじゃないの?と思うわけである。

『発達障害は天才だ!』

とか言ったりすればコントラバーシャルにやれるかもしれない。

しかし、

発達障害の人がやりたいことをやろうとする時に阻まれる壁を

クリアーするための、実践的な方法論や補助してくれるアイテムがあれば

自然と発達障害の人たちの活躍の場は『静かに』増えていくだろう。

そうなれば、一人ずつ、少しずつ変わっていって

最終的には発達障害のことが静かに大衆にも認知されていくはずだ。

それこそがニーチェのいうところの

『静かに訪れる革命』

というものに近いんじゃないかと僕は考えたいと思う。

もちろん、今のところは、だけど。