どうもNEIこと脇田です。

現在3連休中なんですが、この休みの間に色々と今後の活動についてじっくり考えております。

そんな3連休めの朝に、相当な自分の中でのパラダイムシフトが起こってしまいました。

当事者と寄り添い続けてきて、彼らの可能性を信じ続け、同時に自分の可能性も信じてきました。

望むことはきっと実現するんだ

と。それは障害の有無にかかわらず、がんばってい続ければ必ず何か成果が出るんだ、と。

しかし、今回自分の書籍が売れた数は10冊。現実は残酷です。

2日間、凹みに凹み倒し、Amazonのレポートページを10分おきに更新してはまた凹み、自分のやっていることは本当にこれでいいのか?と問い続けました。

で、思い至ったのが

『そもそも、自分だけで生きていくことを目指すべきなのか?』

という問いです。

可能性という言葉は甘いです。それに身を委ねていれば現状の自分を見ずに済みます。しかし、実際のところただただ時がいたずらに流れていくだけで、自分の望むような結果には逆立ちしたって届きはしません。

ましてや、障害特性が足を引っ張ってくるならば尚更のこと。

しかし、本当にその夢や目標は自分自身で決めて追ってきたものなのか?とふと疑問に感じました。どのレベルの望みが自分本来の望みなのか。

まぁもし、自分に今の望みをかなえる可能性が眠っていたとしてもそれを選ばない道も存在するはずです。選ぶか選ばないかを自分で決められないならば、それは誰かに選ばされているということです。

誰かに選ばされた先に例え幸福と言われるものがあったとしても、おそらく自分はそれをかなぐり捨てるだろう、僕はそう思いました。

等身大の自分や他の当事者の人たちが望むことを真正面から捉え直す必要があるんじゃないだろうか?

と感じました。そして、思い至った考えを『事業』という形で書いておこうと思います。おそらく、凹んで逃げているとかそういうものではないと思いますが、そう見えたらすいません。

以下、事業コード”FIRE FLY” の概要です。

事業内容

発達障害当事者の一時的/部分的な能力発揮による経済活動を発見・推進・改善の行程にわたってサポートすること

命の扱い(Life Treatment)

今の日本には、貯蓄されたは良いものの使いきれず残っている財産がたくさん眠っている。それらは、物質的豊かさが十分に満たされた後に高めることを望むべきはずの「精神的豊かさ」が未熟であるがゆえに起こっている現象と言えるだろう。物質的豊かさはすでにカンストしており、それ以上のモノを手に入れたとしても満腹状態でさらにご馳走を食べるような意味のない行為である。

それを裏付けるように、ALS患者への殺人などの終末医療問題が取り沙汰されている。命の大切さだけを盲信し『生きてさえいれば尊い』と断定し、自分の命をどう扱うのか?(Life Treatment)をなおざりにしてきた結果である。どのようにして自分の命をクローズさせていくのかと向き合うことは、今後の先進国では避けて通れない問題であり、その充実度がその国の幸福度と直結するであろうことはもはや疑う余地がない。

発達障害を伴いながらの人生デザイン

発達障害は、治癒することのない終生付き合う特性である。

当事者はこの日本社会における経済活動に適さない理由を複数持っている。これをクリアーできないか?というアプローチを長年続けてきたが、“そもそも当事者による自立が完全であるべき理由があるのか?”ということが常に頭にあった。

当事者は誰かの支えによって生きていることがほとんどである。それは親であったり、伴侶であったり、伴侶の家族であったり兄弟姉妹であったり様々であるがほとんどの場合誰かの世話になっている。しかし、それらの人たちの世話になることに対し多くの当事者は負い目を感じたり反発をして関係を悪化させている。発達障害の人たちはその他の障害と違い、一部高い能力を有しているなどするため高いプライドが伴うことが多く、そのために自己受容が著しく困難となるためである。

実際に、その高い一部の能力を生かすことで一時的/部分的に経済活動で成果を上げることも可能である。しかしながらそれはあくまでも一時的/部分的に留まる、というのが長年携わり続けた私の見解である。当事者たちがそれらの現実を鑑みつつ自分の人生を等身大でデザインしていくことをより大きな規模感でサポートすることが急務である。

発達障害者の一時的/部分的な能力の発揮

当人たちは、一時的/部分的な能力の発揮に満足しないことが多い。自分の足で立つことにこだわってしまうためであり、その気持ちに囚われるがゆえに一時的/部分的な能力の発揮すら手放してしまう

なぜなら、一時的/部分的な能力の発揮を肯定してしまうことは、自らを障害者であると認めることに他ならないからである。しかし、これは私の感じ方に根拠をおく考え方ではあるが私が長い期間と労力をかけてたどり着いた考えが

『発達障害者は一時的/部分的な能力の発揮でも十分満足できる』

ということである。

生活には足らないような小さな稼ぎを自分で得られること。1週間に1〜2日だけ働きに出て月に数万円ほど稼ぐこと。それだけでも、満足できるというように感じられるし、実際にそうだと思う。ただしこれには一定の条件があり、それらの稼ぎが、自分の得意なことや好きなことで稼げた結果であることが必要となると思われる。この辺りの条件は、まだ十分に確かとは言えないため検証の余地がある。

一時的/部分的な能力の発揮が全て棄てられることの経済への深刻なダメージ

上記の理由ゆえに、発達障害者たちが起こすことのできる経済効果が本人たちによってほとんど破棄されてしまっている、もしくは、その(自分で確かに稼げていたことの)認識にすら至っていない。

これらの一時的/部分的な能力の発機による経済効果はそれほど大きくないかもしれないが、非常に多くの発達障害者(特に軽度〜グレーゾーン)が潜在的に存在している(人口の約2.5割)と考えられるため『ちりつも』である。

当事者のほとんどが活動に意義もやりがいもないようなA型事業やA型にすら到達できずB型に属し、雀の涙ほどの工賃を生み出している。さらに言えば事業所に通うこともできず家にいるだけの当事者たちが無数に存在している。この当事者たちが月に数万円なりとも経済活動を行えたとしたらどれだけのインパクトがあるだろうか?

当人たちが得られる収入の目標

A型事業等で得られる賃金 < 一時的・部分的な能力発揮による収入

FIRE FLYでは、上の状態になることを目標とする。経済活動に従事できる時間数は月によってムラがあると思われるため、これらは月単位ではなく年単位で算出するものとする。

収入源となる活動内容

フリーランスとして活動できる地盤を整え、Webライティング、動画編集、イラスト制作、Webデザイン、note販売、ネットショップ運営、ブログorメルマガアフィリエイト、YouTube広告収入、スキル販売(カウンセリングやコーチング、占い)などの手段を用いる。

活動を推し進めるためのしくみ

①同じ活動をしている人たち同士で話し合い、モチベートしあえるコミュニティを運営する。

②受注にかかる業務について、事業者が仲介する。

③自分の得意なorやりたいことを発見できるよう勉強会などを無料で行う。

邪魔になるのは“「命の大切さ」を盲信している状態“

命が大切であることは、もはや語る必要があるんだろうか?その先にそろそろ進まなければいけないのではないだろうか?自分の命を自分で処すことに恐れてしまえば、きっと誰かに預けることになるだけだ。その結果、本意ではない延命処置をされてしまうかもしれないし、入りたくもない施設に入れられてしまうかもしれない。これは現在の日本に巣食っている病でありそれゆえに殺人まがいの安楽死事件などが起こってしまっている。

こういった考え方が蔓延しているがゆえに、障害者を美化する動きやその反動的にやまゆり園のような事件が起こってしまう。命の尊厳を重くしすぎるがゆえに、一人ひとりの可能性に対しても過度な期待をかけすぎてしまう。過度な期待は、自分を受け入れることを多くの場合妨げてしまう。自分を受け入れきれない当事者は周りの人たちをも圧迫してしまいかねない。

決して、自分の可能性を諦めることを肯定しているわけでもないし、可能性を信じて何かを進めることはとても素晴らしいことであるというのは疑う余地のないことである。しかし、必要以上に現在それが強調されすぎているように感じるし、誰かがその可能性の限界を感じた人たちの、そのさきの生き方に寄り添わなければいけないはずである。等身大の発達障害のある人たちを真正面から受け止めその存在が放つ蛍火のような光に宿る価値を多くの人たちの目に触れさせたい。

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