毎度お馴染みとなりましたグループコンサルなんですがしばらく開催をしておりませんでした。
というのも、ギルドの方で忙しかったというのと、なんか僕自身の迷いっていうのがあって、開催を躊躇していたんですね。

そして、もう一度何のためのグループコンサルなのか誰のためのグループコンサルなのか、っていうのを練り直してきました。

知らない方のために、グループコンサルとは何なのかだけ軽くおさらいしておくと、めちゃくちゃざっくり言うと
『みんなで1つのテーマを軸に対話しましょ』
っていう会合ですね。これまでは都内で主に開催しておりました。だいたい2時間みんなで喋って、そこであがってきたそれぞれの人のテーマについて個別面談の方でさらに掘り下げて何らかのアドバイス的なことを脇田がする、っていうところまで1セットのイベントです。

今回は、休憩を挟みつつの3時間にしようと思います。さらに、個別面談も1時間ずつ取ることにしました。
2時間と30分の面談だとどうしてもなんか深いところに達しなかった感が拭えないので。時間増やして変わるのかはようわかりませんけど、経験上それくらいあればよりお互いにオープンになれるかなと思いましたので。

場所は新宿某所(申し込み後メールでお知らせします)。グループコンサル本体のドリンクも、個別面談のドリンク代も全部込みで参加費は10,000円です。3時間みんなで喋って、1時間僕と喋って、計4時間みっちり喋れて10,000円なら1時間あたり2,500円で、その後の人生の変化とか考えたら参加時間の楽しさをはるかに越えて余りあるメリットが提供できると考えてのこの価格となっております。
占いとか一回行っても、4〜6,000円鑑定料取られるし、カウンセリング行っても8,000円とか、心理検査とかしたら1.5万とか色々取られますから、4時間関わり合えて10,000はもはや意味不明なくらい安いですよね。と、思ってます(笑)。まあもちろん各自のふところ事情もありますし僕も金なかったら行かないと思うので、各自のご判断で、というところですね。

まあ、そういう占いとかカウンセリングとか心理検査と、グループコンサルの何が違うねん?って思うかもわからないので、ここで説明しておきますね。

一番デカイのは、僕は「決めつけません」。それはもう圧倒的に、あなたのことを決めつけません。占いでは、生年月日やら何やらで「あなたはこういう人よ」と言ってくるでしょう。行ったことないんで知りませんけど。心理検査もそうですよね。「あなたの得意は何々ですよ」とか、「対人コミュニケーションは苦手ですね」とか。それで安心する人もたくさんいるので、僕はそういったサービスを利用することは全くもって否定しません。否定しませんが、僕は『決めつけない』ことを最たる自分のポリシーとしている、ということです。
それは、僕自身、決めつけられたらムカつくから、っていうのももちろんあるんですけど、決めつけたら「相手の話を聞く」っていう部分が、絶対に雑になるんですよね。
もうこれは、当たり前のことで、機能的にしょうがないことです。決めつける度合いに対して話を真摯に聞く度合いは下がるんです。

僕も発達障害に携わり十年近くになるので、なんぼでも「あなたはADHDですね」とか「あなたはASDですね」とか「あーそれはLDですよね」とか言えますし、実際に言ってもきました。しかし、もれなくその後、その人自身と向き合う度合いが減りました
僕にとって、それは許しがたいことなんです。僕は当事者が何を考えているのか知りたいからこそ、そこに興味を持っているからこそこういう仕事をし続けているにも関わらず、相手を決めつけてしまって、もちろん、決めつけないように努力も工夫もしていますが、それでも絶対に決めつけたら向き合う方向の力は弱まりますから、やっぱり耐えられないですよね、決めつけるっていうことに。

グループコンサルの目的はじゃあ、何なんだ?って話になるんですが、やっぱり『究極の自己肯定』にあるなと僕は気づきました。
『自分であっても良い』ってことです。自己肯定感、と俗に言われているヤツとはちょっと違います。もっと開き直った感じです。『このままで何が悪いん?』っていう感じ。家でニートしてて何が悪いん?みたいな。

組織で、自己肯定感を養おうとか言ってる人らは、その辺が覚悟が足りないんですよ。「自分を認めましょう」とか言いつつ、ずっと生活保護とかニートの状態は流石にまずいなって思ってるわけです。僕は本気で、生活保護でもニートでもなんでもいいと思ってます。だって、その方が余裕でおもろいから、です。
パチンコ屋で働いて、給料をだいたいパチンコでほぼ失ってたような人を尊敬していたり、ストリートナンパを10年近くアホみたいにやってきたり、息子も奥さんも捨ててきた、僕ならではのサービスやと思ってます。
僕が言ってる自己肯定感は、ほんまにタテマエなしです。

ただ他人に貢献できるような大きな夢や目標を持つ重要性を僕はものすごく認識しています。特に発達障害の当事者においては。

 

つまり僕は大きな夢や志を持つのは良いことやと考えてます。なぜなら、それによって自分への執着が限りなく薄れるからです。

ASDの特性にしろ、ADHDの特性にしろ、根本には『不安と執着』があります。自分っていうものに対する捉え方が健常者とは全く違う。それは、他人と自分の境界線を引くことが難しい発達障害ならでは、の特性です。『自分自分』なんです。“人のことを気にするのも自分のため”だし、“ルールを守るのも自分のため”なんです。

批判してるわけじゃないですよ、その上で僕は『自分のことしか考えてなくて、何が悪いん??』って平気で思っていますので。

ただ、その上で、人様のためになる夢や志を持とうっていうか、『もってもええやん??』って思うわけです。自分のことばっかりで必死な人間が、大きな夢や志を持って何が悪いん?って本気で思うんですよ。

そして、そうやって僕は、大きな夢を抱いてはや一年半が経過しましたが、死ぬほど生きやすくなりました。死ぬほど生きやすいってややこしいわ、って感じですけど、それくらい全てにおいて楽になりましたし、スムーズになりましたし、雑になりましたし、重かった腰も軽くなりました。

その理由っていうのが『自分』に比重が行きがちな発達障害の特性が、『世界』に目を向けたことで圧倒的にバランスが取れた。
っていうことです。

世界のために、とか偽善くさいし、そもそも自分のことで精一杯なのにそんな人のことまで考えられないよ、みたいに僕自身めちゃくちゃ思ってて、その時はめちゃしんどかったんですけど、順番が逆だよ、ってことです。
自分のために、世界のことを視野に入れるんです。
だから、僕は自分が安定するために世界レベルの目標を持っている、ということです。そうでないと自分へのこだわり=我執が強くなりすぎて、逆に周りに迷惑をかけるから、です。

でも、みんな、そういう夢なんか自分も持っていいの?って思ってるはずです。いいんです。カビラみたいになりますけど、「いーんです!」夢持つのに「相応しい」とかないんです。夢を持つから「ふさわしく」なっていくんです。

そして、それが『発達障害に対する最高のソリューション』なんです。メモを取るだとか、可視化するだとか、構造化だとか、スケジュール作成だとか、コミュニケーションのトレーニングだとか、いっぱい対策を知って実際に自分でもやって、他人にも適用して、って僕は10年近くやってきましたが、この『ふさわしくない夢を持つ』以上のソリューション以上のものは存在しないと断言してもいいくらいです。

特性は「我執」による。

「我執」を消すために『他人のため(仮)』の大きな夢を持つ。

自分なんかが大きな夢を持ってもいいのか?という問いをグループコンサルと面談で消す。

という流れですね。

こんなサービス、マジでないですから。発達障害の分野のみならず、すべての業界で存在しないです。
『自分の考え方、感じ方のままで何が悪いん?』からの『ふさわしくない夢を持ってもいい』っていうのを体感して欲しいです。

申し込みは別に決済ページを設けてますので、下記のリンクから事前決済をお願いいたします。入金の完了をもって予約完了とさせていただきます。

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